ぶらし屋さんどっとこむ
広島県熊野筆のメイクブラシ、プロユースのヘアブラシなどを扱うショップです
広島に行かれたことはありますか? 広島というと何を思い浮かべますか?
学生のころ修学旅行で行ったことがある方も多いと思いますが、「広島」を訪れる、イコール「原爆ドーム」や「原爆資料館」、「宮島 厳島神社」を訪れられたのではないのでしょうか。
おそらく皆さんがあまり知らない「筆の町」、広島県安芸郡熊野町をご紹介したいと思います。
広島市内から車で約40分、広島に本社を持つ「マツダ」の建物を見ながら市内を抜け、人家を抜け、広島熊野トンネルを抜けると、そこはもう「熊野町」です。 よく町の名産品があると「xxxxの町へようこそ」のような看板を目にすることがありますが、熊野町は店主が想像していた町とは違う雰囲気を持った、「観光地」ではない町でした。
というのも書道筆や絵筆を販売している店舗が道に面したところにあるわけではないのです。 いや、もしかしたらあるのかもしれません。でも目についたのは一軒だけでした。 メインストリートを走ってみると、「人が生活している町」という感じがしてきました。
きれいに手入れしてある庭。道端でおしゃべりをしている人・・・・ そんなことを考えレンタカーで走っていました。
2004年6月、ちょうど台風6号が中国地方に接近している最中、新幹線に4時間揺られやってきた本当の目的はこの「ぶらし屋さんどっとこむ」というこのショップで販売するメイクブラシの製造元にご挨拶に伺うのと、いくつあるか判らないたくさんのブラシメーカー様のうちの数件にお邪魔してお話させていただくことでした。
しかし、その新宿の広島のアンテナショップ「ゆめてらす
」で頂戴した「熊野筆業界マップ」を見ても、どこを曲がったらいいのかまったく解りません!というのも脇道がとても細いのです。しかもナビ付のレンタカーを借りていったのですが、ナビに表示されない道にお邪魔するメーカー様があるらしい・・・・
大ピンチ!せっかくお目にかかる約束をいただいたのに遅れてはいけないと道行く人に聞いてみましたが、さすがに広島弁は???。そして道は「本当に車で通れる?」と、びくびくするような道ばかり。それでも何とかたどり着くことができました。ほとんど奇跡、でした。
ところでなぜ「広島県熊野町」は筆作りが盛んなのでしょう。 熊野町で筆作りが始まったのは江戸時代の終わりだと言われています。農閑期に今の奈良県、つまり「京の都」などに出稼ぎに出て、そこで得たお金で奈良の筆や墨を買い入れて帰ってきた・・・ これが熊野と筆とを「結びつける」きっかけになったとのことです。 ただし今のように盛んになり、飛躍的に発展したのは明治になってからのことだそうです。その理由として
熊野事業協同組合 パンフレットより抜粋)
お伺いしたメーカー様の中の1社様では女性の方が大勢働いていらっしゃいました。その理由として筆工場に就職して、結婚して子育ての合間に「内職」として筆を作り、子育てが一段落したらまた工場に戻ってくる、だから女性が多いと教えてくださいました。
また「筆の町」だから、というと語弊があるかもしれませんが熊野町のメーカー様からお手紙等を頂戴すると「筆」で宛名を書いて下さることがあります。しかも達筆。
そして、「筆の町 熊野」という意識だけではない、私たちが忘れてしまっている「やさしさ」が熊野町にはありました。
実は、なんと 最初のメーカー様から次にお約束をいただいているメーカー様にわざわざ案内してくださったのです。中には社長自ら案内してくださったということもありました。
よく「町おこし」という言葉を耳にしますが、熊野町は町が一丸となっている、いいえそれも言いすぎでしょうか、普通の町でそんな気がして「町おこし」なんて言葉を使うのは野暮に思えてしまいました。
ただお伺いしたのが月曜日だったので「筆の里工房
」が休館だったことが心残りです。
広島に行かれる予定の方は、「熊野町」を訪れることをお勧めします。忘れていた日本(ちょっと大げさかもしれませんね)がそこにはあります。メイクブラシだけでなく、書道筆、絵筆。日本人は本来筆で文字や絵を書いていたんですよね。
ボールペンでさえきれいな字がかけない自分が恥ずかしい次第です。
●こぼれ話
翌年、中国地方にたくさん台風が上陸し、せめてもの観光と訪れた「宮島」の厳島神社は残念ながら悲惨な状態に・・・
本殿奥に「幸せを召し取る」お土産「しゃもじ」と共に修復の募金箱があります。今度行く機会があったらふんぱつしよう・・・と思っています。皆様も是非。